star dust

IT業界で働くアラサーの徒然雑記。邦画・ミステリ小説の感想や、抑うつ記録など。

「風立ちぬ」を観てきた

実は私、ジブリ映画をほとんど観ずに育ってきてしまって。初めてちゃんと通して観たのは、「ハウルの動く城」のテレビ放送。高校生くらいだったかな。次に、大学の講義で「もののけ姫」を観て。大学3年だったか4年だったかの夏休みに実物大のメーヴェの展示を観に行くにあたって、「風の谷のナウシカ」をレンタルして観て(メーヴェ展への興味が先立ったんだから、今考えるとおかしな話だな)。それくらいのものだった。

でも「風立ちぬ」の「大人向けのジブリ映画」という評判に興味を惹かれて、初めてジブリ映画のために劇場に足を運んだ。そしたらもう、びっくりするくらい刺さって。私は一応クリエイターの端くれなんだけれど、ちょうど仕事がつらい時だったんだよね。休職する前で、もがいてるころだった。だからかもしれないけど、本当に刺さりすぎて、結局3回観に行っちゃった。劇場で繰り返し観た映画はこれが初めてだった。

風が立っているから、生きねばならない。
好きなことがある、やりたいことがある、その気持ちがどうしようもなく生きている限りは、つらくても挫折しても犠牲を出しても、それを追わざるを得ない。
そう考えただけでもう泣きそう。私は今ちょっと、凪いじゃってるからなあ。仕事の上で、次郎さんみたいな人にはとても憧れるけれど、自分はそうなれないってわかってる。好きな職に就いているはずだけれど、動力源が好奇心である人には敵わない。あれっ私の風ほんとどこ行っちゃったんだろう。って。抉られたりもした。

そうして仕事について次郎さん側から考えさせられる一方で、やっぱり私は女だから、一番感情移入したのは菜穂子さんだった。菜穂子さん素敵な女性すぎ。山を下りて次郎さんと暮らし始めてからはもう健気でたまらなかった。好きな人に、綺麗なところだけ見てもらった…なんて。もっと弱いところも醜いところも見せてよかったんだよ、そんなに我慢しなくてよかったんだよ、と思ったけれど、仮に菜穂子さんがそうしていたら、次郎さんにそれを受け止める器はなかった気がするなあ。「僕たちには時間がない、日々を大切に過ごしているんだ」というようなことを言った、次郎さんが菜穂子さんを愛して大切にしているのは事実だと思う。でも私はどうしても「次郎さん本人は本気でそのつもりだろうけど…」という見方をしてしまう。だって、残り少ない美しい愛の暮らしは、菜穂子さんの我慢によって成り立っていたものでしょう。次郎さんにその自覚があるようには見えない。もし菜穂子さんが我慢をやめてしまったり、綺麗でない姿を見せてしまったときに、次郎さんが側に寄り添っている姿も上手く想像できない。そういう生き方の人だから仕方ない、としか言えない。次郎さんの妹のかよちゃんが「菜穂子さんが可哀想」と言って泣いた気持ちを、次郎さんはきっと本当にはわからない。…なんてね、長々と書いてしまうのはつまり、私自身が「精神的に寄り添ってくれる男性」が理想だからでしょうね。もちろん最後の暮らしは菜穂子さん自身が望んで選んだものであって、二人は幸せだったと思う。でもやっぱり、菜穂子さんは可哀想だ。

あとはもう、映画を見終わったあとに思い知らされる、「生きねば。」というコピーの重さ。あー、生きるって大変だな。でも生きていかなきゃいけないんだな。

世間的に賛否両論ある映画だし、私の周りでも「号泣した」って人もいれば「何が面白いのかわからなかった」っていう人もいたけど、私にとってはものすごく良い映画でした。まあ、あまりジブリを観たことなかったからこそ、先入観とか冒険劇への期待みたいなものがなかったのもあるのかなあ。

ちなみに、「風立ちぬ」を観た後、「紅の豚」と「天空の城ラピュタ」も観てみました。アリエッティも観たか。でもまだトトロとか魔女の宅急便とか観たことないジブリ作品は結構残っているので、観てみなきゃな。